楽園(2019)

劇場公開日:

楽園(2019)

解説

「悪人」「怒り」など数々の著作が映画化されてきたベストセラー作家・吉田修一の短編集「犯罪小説集」を、「64 ロクヨン」の瀬々敬久監督が映画化。綾野剛、杉咲花、佐藤浩市ら豪華キャストが集結し、犯罪をめぐる喪失と再生を描き出す。ある夏の日、青田に囲まれたY字路で少女誘拐事件が起こる。事件は解決されないまま、直前まで被害者と一緒にいた親友・紡は心に深い傷を負う。それから12年後、かつてと同じY字路で再び少女が行方不明になり、町営住宅で暮らす孤独な男・豪士が犯人として疑われる。追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出る。さらに1年後、Y字路に続く限界集落で愛犬と暮らす養蜂家の善次郎は、村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされてしまう。追い込まれた善次郎は、ある事件を起こす。

2019年製作/129分/G/日本
配給:KADOKAWA
劇場公開日:2019年10月18日

スタッフ・キャスト

監督
原作
吉田修一
脚本
瀬々敬久
エグゼクティブプロデューサー
井上伸一郎
製作
堀内大示
宮崎伸夫
松井智
楮本昌裕
杉田成道
企画
水上繁雄
プロデューサー
二宮直彦
橋口一成
千綿英久
アソシエイトプロデューサー
飯田雅裕
ラインブロデューサー
石渡宏樹
撮影
鍋島淳裕
照明
かげつよし
録音
高田伸也
美術
磯見俊裕
装飾
大庭信正
スタイリスト
纐纈春樹
ヘアメイク
リョータ
編集
早野亮
音響効果
岡瀬晶彦
音楽
ユップ・ベビン
音楽協力
安川午朗
主題歌
上白石萌音
主題歌(作詞・作曲・プロデュース)
野田洋次郎
助監督
海野敦
スクリプター
江口由紀子
VFXスーパーバイザー
立石勝
タイトルデザイン
赤松陽構造
制作担当
田辺正樹
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(C)2019「楽園」製作委員会

映画レビュー

4.5現実の「罪」と夢の「楽園」の隔たりを想像する

2019年10月28日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

悲しい

吉田修一の「犯罪小説集」は、タイトルに反するようだが犯罪を描くことが主眼ではない。人間が(日本人が、と限定してもいい)一線を越えて罪を犯すまでの状況、そんな状況に個人を追い込んでいく周囲の直接間接の圧力(これも広義の罪と言える)を描くことに重きを置き、犯罪の場面の描写や犯人の内面はあっさり省略するか微妙にぼかしている。

瀬々敬久監督による脚本と演出も原作の趣旨を踏まえ、小さな町や村の人々が、同調しない人間、理解できない人間を排除する集団の“暴力”を、じわじわと胸を締めつけるような迫力で映像化した。作家と監督の心はともに、2つの短編をつなぐ役割を担った紡(つむぎ)という名の女性(杉咲花)と同様、綾野剛と佐藤浩市が演じる排除される側の個人に寄り添う。復讐のカタルシスを与えるでもなく、観客に鏡を突きつける意図でもなく、想像力にかすかな希望を委ねる優しさが映画の題からも伝わってくる。

コメントする 2件)
共感した! 28件)
高森 郁哉

4.5村八分のメカニズム

2019年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

村八分の力学は恐ろしい。犯人かどうかわからない人を追い詰め、殺人を犯しそうもない人を殺人犯へと変えてしまう。日々のニュースを観て、我々は犯罪者に対して憤っている。だが、人が犯罪者になるには理由がある。この映画ではどこにでもいる人々が追い詰められた結果として犯罪者になってしまう様子が描かれている。フィリピンからやって来た母子はそれだけで異物のように扱われ、東京から戻ってきた初老の男はささいな予算の問題で孤立させられる。移民問題や限界集落など、現代日本が抱える諸問題が数多く描かれるが、それらの問題が日本的な村八分と結びつき、人を犯罪者に駆り立ててしまう。これらの物語は実際の事件から着想を得ているが、本当に日本ならどこにでも起きうる物語だと実感させられる。吉田修一と瀬々敬久監督の組み合わせはきっと面白くなるだろうと思っていたが、期待どおりに面白かった。善悪の彼岸を超えた犯罪映画だ。

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共感した! 40件)
杉本穂高

2.5暗いだけの話し

2024年11月30日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

全然面白くなかった。

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共感した! 12件)
ノブ様

5.0十分に考える楽しみを味わえる作品

2024年11月24日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

短編小説の映像化作品だったのですか~
それであの構成・映像だったのか~
かなり面白い作品だったが、視点の描き方が謎だった。
それでいて事実そのものを隠している。
これが妄想癖を掻き立てる。
時系列になっていないことが尚更物語をややこしくさせている。
しばらく前の作品だが、面白さは詰まっていた。
この作品に出合ったことで今は閉鎖された他のレビューサイトに初めて書き込みをしたのを憶えている。
あの時私は、映画というものを作った人の想いというものを初めて想像してみた。
冒頭の縁日
彼らの社会的背景が示される。
柄本明さん演じた自治会長
日本のどこにでもありそうな片田舎
この村で起きた村史上最悪の事件は未だ未解決という設定
その事件の少し前に移住してきた中国人親子 綾野剛さん演じた中国人
敢えてあからさまに描いてはいないが、この村は日本の縮図で、よそ者を嫌う、差別する風潮がある。
楽園とは真逆の世界
または楽園に必要な要素が、ある種のターゲットなのだろうか?
度重なるいじめ 少し何かしただけで大騒ぎになる始末。
祭りと笛の演奏をする少女 彼女を演じた杉咲花さん
彼女の笛を壊したことで知り合う二人
この作品で最もミステリアスに描かれている、または隠されているのが、その彼女だと思う。
さて、
最後に彼女が決して人に言わなかった「証言」が映像として差し込まれている。
彼女はあの場所で泣き崩れていた中国人を見たのだろうか?
あの映像は小説で言うところの、いわゆる「神の声」なのではないのか?
しかしあの映像がなければ、この作品は誰にも理解できないものになってしまう。
あの日、あの時間、あの場所にいた当時の杉咲花さんと同級生の女児
橋の上から大事なリサイクル商品を投げ捨てようとした中国人
彼と同じように捨てられた犬
時間差でやってきたUターン帰省者を演じた佐藤浩市さん
あの点ですべてがつながっている。
ではなぜ中国人は商品を捨てようとしたのだろう?
なぜあんなにも泣いていたんだろう?
おそらくそれは、自治会長が彼の就職の世話をしたお礼として、中国人の母が自治会長に抱かれたのだろう。
彼はそれを見てしまったのだ。
すべての原因の根底にいたのが、自治会長だった。
会長は一度村を出たものさえ許さないのだろう。
村おこしの案を出すサトウコウイチに対し、何でもやってくれと言うようなことうぃいながら一切協力しない姿勢を貫いている。
終いには犬にまで手を出される。
サトウはやがて八方塞になってしまう。
この村のことが表現されているシーンだ。
さて、
スギサキハナの女児時代
同級生の意地悪
あの些細な意地悪に、なぜ彼女はあんなにも反応したのだろうか?
彼女の証言は二転三転し、結局少女がどこに行ったのかは誰にも解らないまま時間だけが流れた。
敢えて言わなかった。
その背景にあると思われる恨みのような感情。
それはいったい誰に向けられたものだろうか?
また、彼女の両親のシーンは一切出てこない謎。
彼女が抱えている不信感は、この村そのものなのだろうか?
さらに不思議なのが、エモト自治会長の孫の行方不明に村人総出で捜索活動するシーンにも孫の両親は登場しなかったと思う。
スギサキはおそらく家族思いで、両親ともうまくいっている。
同級生が彼女に村を出ていかないのは俺とお前だけになったと話しているシーンがあるが、彼女には当時出ていけない理由があったはずだ。
この村では、おそらく誰か「いじめられる者」が必要なのだろう。
そんな誰かがいなければ彼らの社会がうまく築けない。
学校のいじめと似た構図
その時々で、そういう誰かを探し続ける社会
スギサキ家族は以前、おそらく行方不明になった女児とまだ仲良くしていたころ、何らかの原因で両親がターゲットになっていたのではないだろうか?
それはあの中国人母子の登場でなくなったが、その根源的な因子を、あの行方不明なった同級生の言動に垣間見たのではないだろうか?
同級生の言葉は親の言葉 または自治会長の言葉
女児の両親は女児さえも捨てたのかもしれない。
それがこの村の仕組みを作ったのだろうか??
スギサキが女児の言動に感じてたこと、許せない気持ち
そうして出会ったアヤノとスギサキは、お互いに知っているこの村の腐った因子から逃れるように支えあっていたのかもしれない。
しかし、2度目に発生した行方不明事件
女児は無事見つかるが、アヤノに対する村人の疑心暗鬼が募っていたことで、彼は結果的に焼け死んでしまう。
これがきっかけでスギサキは東京行きを決断した。
そしてアヤノの母を訪ねる。
それは彼が同級生を殺したのかどうかについて確証を得るためだ。
作品にそれは描かれていないが、病気で入院した同級生の彼の言葉にそれが隠されていたのだろう。
「半年後の生存率は50%」
これは彼には言葉通りの意味だが、彼女にとってはまた大事な人を失うかもしれない恐れ、そしてアヤノが犯人だったかどうかはやっぱり私にはわからないが、50%の確率として残っているということかなと思った。
つまり、彼女にとってここで一旦過去に区切りをつけた状態になる。
彼女の再生と成長の決意が無言の表情で語られている。
しかし、
同時に真犯人はアヤノなのかを視聴者に問いかけている。
つまりこの物語の真実は、
この村の社会的な構造と、スギサキ家の過去、そしてアヤノが見た出来事によって、どうしようもなくなったアヤノがやっぱり犯人だったことが読み解けるようになっている。
この構図の巧みさは見事だった。
映画ならではのうまさが出ていた。
面白かった。

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